考えるな,は正解なのか?
「考えるな。感じろ」
これは、言わずと知れた名画「燃えよドラゴン」での、ブルースリーの名セリフである。
しかし、すべてのシチュエーションにおいて、考えないで行動したらどうなるか?
結果は惨憺たるものになるだろう。
名将野村克也監督も言った。
「野球はアタマでするもんだ」
たとえば打者であれば、これまでの配球データから考えて、相手ピッチャーの投げる次の球を読む。
考えないで自分の動体視力だけを頼りに「来た球を打つ」で対処していたら、秒速40メートルで真っすぐや左右に変化してビュンとくる速いボールを正確に叩けない。いや、叩けたとしても、打率は上がらない。
医師の治療もそうだろう。
患者の症状を視て、触って、検査をする。それを踏まえ、学術的知識やこれまでの経験から考え、診断をし、治療方針を決定する。
これを感じたままに診断・診療していたら、えらいことになるだろう。
そう、基本的に人は考えて行動すべきなのだ。
考えないで行動すると大概悪い結果を招く。
しかし、時として考えないで行動する方が良い場合があるのも確かである。
考えない方が良い場合
たとえば、「結果をコントロールできないとき」がそうである。
医師の治療の話に戻るが、成功率の高くない難しい手術を終えた場合、その患者の予後をくどくど考えても仕方がない。最善は尽くしたのだ。そのことばかり考えていると、集中力が削がれ、他の患者の治療に影響してしまう。
自分のすべきことをした。そしてその後の結果はコントロールできないのなら、それ以上のことを考えてはいけない。次のことや他にできることに注力するべきなのだ。
もう一つ、「即座の判断が求められる場合」もそうだろう。
動きの速い空手やボクシングの試合で、悠長に考えている暇はない。
考えず、ほぼ感じたままに彼らは試合をしているのではないか。
つまり、事前の徹底した練習で「ああ来たら、こう打つ」みたいのが体に染みこんでいて、試合では自然に体が動いているのだろう。
あなたはどうですか?
考えるべきときに、直感まかせの行動をしていないか?
逆に考えてもしょうがないときに、考えようとしていないか?
(これは私が当てはまる。結果をコントロールできないのに、考え続けてしまうのだ。)
その辺の使い分けをして、より良い結果を招こうではないか。